2021年10月22日 記事掲載
埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。
出雲伊波比神社の流鏑馬
苦林野合戦の供養塔が建つ苦林古墳
町内の遺跡から旧石器時代の石器が出土したことから、約1万5000年前から人々の暮らしがあったと考えられる。縄文時代の遺跡も約80か所あり、たくさんの土器や住居跡が見つかっている。また、町内を流れる越辺川沿いを中心に3つの古墳群があり、その大きさなどから、この辺りを治めていた有力者の力の大きさを推測することができる。
鎌倉時代、源頼朝の重臣であった毛呂季光の領土となり、この時代に整備された鎌倉街道は現在の毛呂山町を通っていた。街道は幕府のあった鎌倉と各所を結ぶ重要道路であったため、交通の要衝となっていた。現在も遺構などを確認することができる。南北朝時代には苦林野合戦という毛呂山において最も大きな戦があり、多くの兵士が戦死。合戦地付近には江戸時代に地元民らによって供養塔が建てられている。
明治になり町村制が施行され、現町内は毛呂村と滝野入村(のちに山根村と改名)と川角村の3村になった。そして1939年、毛呂村と山根村が合併し毛呂山町になり、55年に旧毛呂山町と川角村が合併し、現在に至る。
毛呂山の名前の由来は、毛呂村の「毛呂」と山根村の「山」を合わせたもの。山根は山の裾にあったことが由来、毛呂は「諸々」説や「高句麗語」説など様々な説があるとされている。
鎌倉街道
桂木ゆず
ゆずの栽培が盛んで「日本最古のゆずの産地」とされている。滝ノ入、阿諏訪、大谷木地区といった中山間地を中心に50軒の農家が栽培。年間140~180tほどが収穫されている。香りの高さが特徴で、「桂木ゆず」のブランド名で県内や都内へ出荷。ジュースやジャムといった加工品も人気となっている。毎年12月上旬には「ゆず祭り」が開催される。
JR八高線毛呂駅すぐ近くには埼玉医科大学があり、県の一大医療拠点となっている。石川県出身の丸木清太郎が1892年に開院した毛呂病院がのちに総合病院として発展、1972年に大学が開校された。現在、医師をはじめとしたスタッフ約2300人が在籍、1日平均約1,900人の患者が来院している。
埼玉医科大学
出雲伊波比神社本殿
町内中央部に位置する出雲伊波比神社では、毎年春と秋に流鏑馬が奉納され、町を代表する催事となっている。社伝によると、第12代景行天皇に東国の蝦夷を征伐するために派遣された倭建命が戦勝を祈願、凱旋の帰途に立ち寄り、出雲の神で大己貴神の神霊をまつったのが神社の成り立ちとされている。流鏑馬は鎌倉の鶴岡八幡宮の創建に携わった源頼義の息子の義家が奥州平定の途中で戦勝祈願し、1063年に凱旋した時に奉納したのが始まりとされている。馬上から矢を放つ若武者の勇ましい姿を見ようと、毎年多くの人が見物に訪れる。
滝ノ入地区の桂木寺にある木造伝釈迦如来坐像は県内最古級の仏像とされ、県指定有形文化財(彫刻)となっている。桂木寺のある桂木山は、奈良時代の高僧・行基(668~749年)が訪れ、その風景が大和国(現在の奈良県)葛城山に似ていることから、「桂木」という名になったとされている。
桂木寺の木造伝釈迦如来坐像
面積は34.07㎢で、東西に約9㎞、南北に約7.5㎞。南西部は標高300~400mの山地で、農業用灌漑貯水池の鎌北湖がある。中央部から東部にかけて越辺川と高麗川が流れる。
町内を南北に県道飯能寄居線、東西に県道川越坂戸毛呂山線と県道川越越生線が通り、JR八高線と東武越生線の2つの鉄道と4つの駅を有する。都心から50㎞圏内という立地の良さもあり、昭和40年代後半から急激な宅地化が進んだ。昭和40年に約1万3千人だった人口は、昭和50年に約2万3千人、昭和60年には約3万3千人にまで増え、都市化へとつながっていった。
鎌北湖
滝ノ入ローズガーデン
春の桜や秋の紅葉など四季折々の美しい風景を見せる鎌北湖は別名「乙女の湖」とも呼ばれ、湖畔の散策やボートなどを楽しむ人の姿が見られる。
2000年に地域の活性化を目的に住民らによって整備された滝ノ入ローズガーデンには、毎年多くの人が来園する。約350種1,500株のバラが咲き誇り、季節になるとバラ祭りを開催。今年の秋のバラまつりは10月20日(水)~31日(日)の9時~15時となっている。
またローズガーデンのすぐ隣には町営のゆずの里オートキャンプ場があり、週末を中心に都内や県内からのキャンパーでにぎわう。
ゆずの里オートキャンプ場
ゆかりの人物としてあげられるのは作家の武者小路実篤(1885~1976年)。毛呂山町に理想郷「新しき村」を開村し、自身も多くの時間を村で過ごした。現在も8人ほどの村民が自給自足的な暮らしを送っているそうだ。
出身者としては、タレントのダンカンさんや、ヒット曲「青いベンチ」で知られるサスケの2人などが芸能界で活躍。スポーツ界では、リオ五輪で銅メダルを獲得し東京五輪にも出場した競泳の瀬戸大也さんや、東京五輪ソフトボールで金メダルを獲得した森さやかさんらがいる。
武者小路実篤の自画像
毛呂山町ビジネスコンテスト
毛呂山町では現在、スマートシティ事業を推進。通信技術やAI(人工知能)といった先端技術を活用したまちづくりにより、全国的に問題となっている少子高齢化による人口減少や財政収支悪化の解決を目指している。昨年10月、民間企業と連携し、スマートシティ事業を実行する株式会社もろやま創成舎を設立。今年、台風などの豪雨災害に備えるため、AIを用いた「道路・河川見守りカメラ」を町内全11箇所に設置し、町民の安全・安心を守る実証実験を実施。また、地域課題をビジネスによって解決するためのアイデアを持つ事業者を広く募集する「毛呂山町ビジネスコンテスト」を開催。治山事業の活性化、雇用の創出、空き家・空き店舗対策など、町の様々な課題に対する提案が町内外の事業者から多く出され、課題解決に繋げていきたいとしている。今後は自動運転技術の検証やスマート農業の導入などの事業を進めていく予定となっている。
人口 | 33,020人(令和3年10月1日現在) |
---|---|
世帯数 | 16,020(令和3年10月1日現在) |
面積 | 34.07㎢ |
総生産額 | 904億3300万円(平成30年度) |
取材協力:毛呂山町
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2021年9月24日 記事掲載
埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。
出雲伊波比神社の流鏑馬
苦林野合戦の供養塔が建つ苦林古墳
町内の遺跡から旧石器時代の石器が出土したことから、約1万5000年前から人々の暮らしがあったと考えられる。縄文時代の遺跡も約80か所あり、たくさんの土器や住居跡が見つかっている。また、町内を流れる越辺川沿いを中心に3つの古墳群があり、その大きさなどから、この辺りを治めていた有力者の力の大きさを推測することができる。
鎌倉時代、源頼朝の重臣であった毛呂季光の領土となり、この時代に整備された鎌倉街道は現在の毛呂山町を通っていた。街道は幕府のあった鎌倉と各所を結ぶ重要道路であったため、交通の要衝となっていた。現在も遺構などを確認することができる。南北朝時代には苦林野合戦という毛呂山において最も大きな戦があり、多くの兵士が戦死。合戦地付近には江戸時代に地元民らによって供養塔が建てられている。
明治になり町村制が施行され、現町内は毛呂村と滝野入村(のちに山根村と改名)と川角村の3村になった。そして1939年、毛呂村と山根村が合併し毛呂山町になり、55年に旧毛呂山町と川角村が合併し、現在に至る。
毛呂山の名前の由来は、毛呂村の「毛呂」と山根村の「山」を合わせたもの。山根は山の裾にあったことが由来、毛呂は「諸々」説や「高句麗語」説など様々な説があるとされている。
鎌倉街道
桂木ゆず
ゆずの栽培が盛んで「日本最古のゆずの産地」とされている。滝ノ入、阿諏訪、大谷木地区といった中山間地を中心に50軒の農家が栽培。年間140~180tほどが収穫されている。香りの高さが特徴で、「桂木ゆず」のブランド名で県内や都内へ出荷。ジュースやジャムといった加工品も人気となっている。毎年12月上旬には「ゆず祭り」が開催される。
JR八高線毛呂駅すぐ近くには埼玉医科大学があり、県の一大医療拠点となっている。石川県出身の丸木清太郎が1892年に開院した毛呂病院がのちに総合病院として発展、1972年に大学が開校された。現在、医師をはじめとしたスタッフ約2300人が在籍、1日平均約1,900人の患者が来院している。
埼玉医科大学
出雲伊波比神社本殿
町内中央部に位置する出雲伊波比神社では、毎年春と秋に流鏑馬が奉納され、町を代表する催事となっている。社伝によると、第12代景行天皇に東国の蝦夷を征伐するために派遣された倭建命が戦勝を祈願、凱旋の帰途に立ち寄り、出雲の神で大己貴神の神霊をまつったのが神社の成り立ちとされている。流鏑馬は鎌倉の鶴岡八幡宮の創建に携わった源頼義の息子の義家が奥州平定の途中で戦勝祈願し、1063年に凱旋した時に奉納したのが始まりとされている。馬上から矢を放つ若武者の勇ましい姿を見ようと、毎年多くの人が見物に訪れる。
滝ノ入地区の桂木寺にある木造伝釈迦如来坐像は県内最古級の仏像とされ、県指定有形文化財(彫刻)となっている。桂木寺のある桂木山は、奈良時代の高僧・行基(668~749年)が訪れ、その風景が大和国(現在の奈良県)葛城山に似ていることから、「桂木」という名になったとされている。
桂木寺の木造伝釈迦如来坐像
面積は34.07㎢で、東西に約9㎞、南北に約7.5㎞。南西部は標高300~400mの山地で、農業用灌漑貯水池の鎌北湖がある。中央部から東部にかけて越辺川と高麗川が流れる。
町内を南北に県道飯能寄居線、東西に県道川越坂戸毛呂山線と県道川越越生線が通り、JR八高線と東武越生線の2つの鉄道と4つの駅を有する。都心から50㎞圏内という立地の良さもあり、昭和40年代後半から急激な宅地化が進んだ。昭和40年に約1万3千人だった人口は、昭和50年に約2万3千人、昭和60年には約3万3千人にまで増え、都市化へとつながっていった。
鎌北湖
滝ノ入ローズガーデン
春の桜や秋の紅葉など四季折々の美しい風景を見せる鎌北湖は別名「乙女の湖」とも呼ばれ、湖畔の散策やボートなどを楽しむ人の姿が見られる。
2000年に地域の活性化を目的に住民らによって整備された滝ノ入ローズガーデンには、毎年多くの人が来園する。約350種1,500株のバラが咲き誇り、季節になるとバラ祭りを開催。今年の秋のバラまつりは10月20日(水)~31日(日)の9時~15時となっている。
またローズガーデンのすぐ隣には町営のゆずの里オートキャンプ場があり、週末を中心に都内や県内からのキャンパーでにぎわう。
ゆずの里オートキャンプ場
ゆかりの人物としてあげられるのは作家の武者小路実篤(1885~1976年)。毛呂山町に理想郷「新しき村」を開村し、自身も多くの時間を村で過ごした。現在も8人ほどの村民が自給自足的な暮らしを送っているそうだ。
出身者としては、タレントのダンカンさんや、ヒット曲「青いベンチ」で知られるサスケの2人などが芸能界で活躍。スポーツ界では、リオ五輪で銅メダルを獲得し東京五輪にも出場した競泳の瀬戸大也さんや、東京五輪ソフトボールで金メダルを獲得した森さやかさんらがいる。
武者小路実篤の自画像
毛呂山町ビジネスコンテスト
毛呂山町では現在、スマートシティ事業を推進。通信技術やAI(人工知能)といった先端技術を活用したまちづくりにより、全国的に問題となっている少子高齢化による人口減少や財政収支悪化の解決を目指している。昨年10月、民間企業と連携し、スマートシティ事業を実行する株式会社もろやま創成舎を設立。今年、台風などの豪雨災害に備えるため、AIを用いた「道路・河川見守りカメラ」を町内全11箇所に設置し、町民の安全・安心を守る実証実験を実施。また、地域課題をビジネスによって解決するためのアイデアを持つ事業者を広く募集する「毛呂山町ビジネスコンテスト」を開催。治山事業の活性化、雇用の創出、空き家・空き店舗対策など、町の様々な課題に対する提案が町内外の事業者から多く出され、課題解決に繋げていきたいとしている。今後は自動運転技術の検証やスマート農業の導入などの事業を進めていく予定となっている。
人口 | 33,020人(令和3年10月1日現在) |
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世帯数 | 16,020(令和3年10月1日現在) |
面積 | 34.07㎢ |
総生産額 | 904億3300万円(平成30年度) |
取材協力:毛呂山町