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2022年8月26日 記事掲載

埼北市町村ガイド

埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。

Vol.17 小鹿野町

小鹿野春祭りの屋台歌舞伎

小鹿野の歴史は、遠く縄文時代にはじまる。赤平川や藤倉川の河岸段丘上に、当時の遺跡が広く分布し、合角ダムの水没地域となった日尾地内では縄文草創期の遺物が確認され、早期から後・晩期の岩陰遺跡や下平遺跡から重要な発見が相次いだ。

承平年間(931~939)には、『小鹿野』の名が登場する。平安時代の辞典「和名類聚抄」に載る秩父郡6つの郷のうち『巨香郷』が、かつての地名だと考えられている。

鎌倉時代には、武蔵七党の一つ「丹党」の流れをくむ小鹿野氏が、現在の小鹿野小学校あたりに館を構えていたとされている。室町時代には、秩父氏からでた奈倉氏が奈倉に館を構えた。戦国時代に入ると町域は、甲斐・武田氏と小田原・北条氏の両勢力の接点となった。北条氏は、武田氏の侵攻に備えて鉢形城(寄居町)の支城として小規模な城郭を各地に配した。志賀坂峠を越えて来る武田氏に対する抑えの城としては、日尾城が築かれた。

江戸時代には、幕府の直轄となり、小鹿野・伊豆沢・長留・般若・飯田・三山・河原沢・日尾・藤倉の9つの村として独立。後に、小鹿野村が上小鹿野・下小鹿野の2村、飯田村が上飯田・中飯田・下飯田の3村に分かれ、12村から構成された。

小鹿野の中心地では、毎月五日・十日に六斎市が立ち、絹などの織物をはじめ生活必需品やたばこなどの嗜好品も交易された。江戸との交流も盛んになり、小鹿野独自の文化が花開くきっかけになった。現在では、町のシンボルとなっている「小鹿野の春祭り」で曳き廻される各2基の屋台・笠鉾の創建、地芝居の「小鹿野歌舞伎」の起源が江戸時代であり、当時の繁栄ぶりが思い起こされる。


巨香郷の碑

豊かな自然を生かした農林業が盛んで、「秩父きゅうり」や花き、インゲン、こんにゃく、しゃくし菜などが特産品となっている。新規就農者への支援体制を整えていて移住者も増え始めている。

ワインやあんぽ柿、ブルーベリーなど魅力ある地場産業が発展している。新たな特産品として人気となっているのが黄色く完熟した「黄金のかぼす」。カボスは、熟す前の果皮が緑色の状態で出荷されるが、完熟するとユズとレモンを合わせたような味わい。町内の飲食店や菓子店などでは、新商品開発が進んでいる。

工業においては、地元企業の技術開発・新分野への進出を支援し、企業誘致にも努めている。

新たな特産品「黄金のかぼす」

町の代名詞「小鹿野歌舞伎」

200年以上の伝統を誇る「小鹿野歌舞伎」は、江戸時代の文化文政(1804~30年)の頃、江戸で芸を修めた初代坂東彦五郎が一座芝居を組織し、地元の若者に歌舞伎を教えたことに始まった。秩父各地を本拠地に芝居一座は引き継がれ、明治・大正期に最盛期を迎えた。

1973(昭和48)年には、文化財保護の機運が高まり「小鹿野歌舞伎保存会」が結成された。11月の「歌舞伎・郷土芸能祭」をはじめ、町内の常設舞台や掛け舞台、祭り屋台での上演などの定期上演がある。子供歌舞伎や女歌舞伎に加え、小・中学校の授業でも取り入れられ、歴史ある伝統芸能は次世代へと継承。「町じゅうが役者」と呼ばれる町の代名詞となっている。

祭り屋台上で小鹿野歌舞伎が上演される「小鹿野春まつり」、国選択無形民俗文化財のひな祭り行事「オヒナゲエ(お雛粥)」、鉄砲まつりとして知られる「飯田八幡神社の祭り」など、連綿と受け継がれる多彩な伝統行事の数々が四季を通じて催されている。

県の西北部に位置し、県内の町村では最も広い171.26k㎡の町域を有する。標高1723mの秀でた山容を形成する日本百名山の「両神山」、日本の滝百選の「丸神の滝」、平成の水百選の「毘沙門水」など魅力あふれる美しい自然と里山の景観を備えている。

気象は、夏は30℃以上、冬は零下10℃ほどの気温になり、寒暖の差が著しい。

小鹿野町公式ご当地キャラクター『おがニャッピー』

日本有数の自生地・節分草園

両神山を中心とした秩父多摩甲斐国立公園、丸神の滝、日本の地質百選に選ばれる「ようばけ」のある県自然環境保全地域、県立両神自然公園、県立西秩父自然公園など豊かな自然があふれている。

町内には、セツブンソウの自生地として日本有数の規模を誇る「節分草園」、棚田を利用した園地におよそ1万株のハナショウブが植えられた「両神花しょうぶ園」、約350種5,000株のダリアが咲き乱れる「両神山麓花の郷ダリア園」などの花どころがずらり。尾ノ内渓谷を流れる沢水を散水し、地域ボランティアの手でつくり上げる幅250m、高さ60mにおよぶ壮大な氷のオブジェ「尾ノ内氷柱」は、小鹿野を代表する冬の風物詩となっている。

道の駅・両神温泉薬師の湯は、町営の日帰り温泉や農産物直売所を併設する複合施設で、町内には趣ある温泉宿が点在する。近年では、県と中国山西省の友好記念館「神怡舘」の跡地を町営クライミングジムへとリニューアル。クライミングによるまちおこしが進められている。

尾ノ内氷柱

小説家・大谷藤子(1903~77年)は、旧両神村に生まれ、秩父を題材にした作品を数多く残した。70年には、中央公論社が創設した女流文学賞(現在は中央公論文芸賞に継承)を受賞した。生家の近くには、小説「山村の女たち」の一節を刻んだ文学碑が建てられている。

大谷藤子の文学碑

 

新庁舎のイメージ

『文化の香り高く将来に躍動するまち』を将来像に、「人口減少にまけない小さくても輝き続けるまち」「本町の自然や特性を活かした地域経済の創生」「かがやく未来へおがの人づくり」「すべての世代に配慮された社会保障の充実」「快適で安心して暮らせる環境の整備」を基本目標に行財政運営を推進していく。

現在、小鹿野町庁舎の建て替えが進んでいる。町有林のスギやヒノキを利用し、かつ環境に配慮した2階建ての木造庁舎となり、今年12月の完成予定。「町民を中心とした多くの人が使いやすく、木のぬくもりを感じられる空間」として新たな町のシンボルとなることが期待されている。

小鹿野町のデータ

人口 10,711人(令和4年8月1日現在)
世帯数 4,586(令和4年8月1日現在)
面積 171.26㎢
総生産額 352億8,700万円(平成30年度)

取材協力:小鹿野町

小鹿野町地図

Copyright © saihokuyomiuri.

埼北よみうり新聞

2022年8月26日 記事掲載

埼北市町村ガイド

17.小鹿野町

Vol.17 小鹿野町

小鹿野春祭りの屋台歌舞伎

小鹿野の歴史は、遠く縄文時代にはじまる。赤平川や藤倉川の河岸段丘上に、当時の遺跡が広く分布し、合角ダムの水没地域となった日尾地内では縄文草創期の遺物が確認され、早期から後・晩期の岩陰遺跡や下平遺跡から重要な発見が相次いだ。

承平年間(931~939)には、『小鹿野』の名が登場する。平安時代の辞典「和名類聚抄」に載る秩父郡6つの郷のうち『巨香郷』が、かつての地名だと考えられている。

鎌倉時代には、武蔵七党の一つ「丹党」の流れをくむ小鹿野氏が、現在の小鹿野小学校あたりに館を構えていたとされている。室町時代には、秩父氏からでた奈倉氏が奈倉に館を構えた。戦国時代に入ると町域は、甲斐・武田氏と小田原・北条氏の両勢力の接点となった。北条氏は、武田氏の侵攻に備えて鉢形城(寄居町)の支城として小規模な城郭を各地に配した。志賀坂峠を越えて来る武田氏に対する抑えの城としては、日尾城が築かれた。

江戸時代には、幕府の直轄となり、小鹿野・伊豆沢・長留・般若・飯田・三山・河原沢・日尾・藤倉の9つの村として独立。後に、小鹿野村が上小鹿野・下小鹿野の2村、飯田村が上飯田・中飯田・下飯田の3村に分かれ、12村から構成された。

小鹿野の中心地では、毎月五日・十日に六斎市が立ち、絹などの織物をはじめ生活必需品やたばこなどの嗜好品も交易された。江戸との交流も盛んになり、小鹿野独自の文化が花開くきっかけになった。現在では、町のシンボルとなっている「小鹿野の春祭り」で曳き廻される各2基の屋台・笠鉾の創建、地芝居の「小鹿野歌舞伎」の起源が江戸時代であり、当時の繁栄ぶりが思い起こされる。

巨香郷の碑

豊かな自然を生かした農林業が盛んで、「秩父きゅうり」や花き、インゲン、こんにゃく、しゃくし菜などが特産品となっている。新規就農者への支援体制を整えていて移住者も増え始めている。

ワインやあんぽ柿、ブルーベリーなど魅力ある地場産業が発展している。新たな特産品として人気となっているのが黄色く完熟した「黄金のかぼす」。カボスは、熟す前の果皮が緑色の状態で出荷されるが、完熟するとユズとレモンを合わせたような味わい。町内の飲食店や菓子店などでは、新商品開発が進んでいる。

工業においては、地元企業の技術開発・新分野への進出を支援し、企業誘致にも努めている。

新たな特産品「黄金のかぼす」

町の代名詞「小鹿野歌舞伎」

200年以上の伝統を誇る「小鹿野歌舞伎」は、江戸時代の文化文政(1804~30年)の頃、江戸で芸を修めた初代坂東彦五郎が一座芝居を組織し、地元の若者に歌舞伎を教えたことに始まった。秩父各地を本拠地に芝居一座は引き継がれ、明治・大正期に最盛期を迎えた。

1973(昭和48)年には、文化財保護の機運が高まり「小鹿野歌舞伎保存会」が結成された。11月の「歌舞伎・郷土芸能祭」をはじめ、町内の常設舞台や掛け舞台、祭り屋台での上演などの定期上演がある。子供歌舞伎や女歌舞伎に加え、小・中学校の授業でも取り入れられ、歴史ある伝統芸能は次世代へと継承。「町じゅうが役者」と呼ばれる町の代名詞となっている。

祭り屋台上で小鹿野歌舞伎が上演される「小鹿野春まつり」、国選択無形民俗文化財のひな祭り行事「オヒナゲエ(お雛粥)」、鉄砲まつりとして知られる「飯田八幡神社の祭り」など、連綿と受け継がれる多彩な伝統行事の数々が四季を通じて催されている。

県の西北部に位置し、県内の町村では最も広い171.26k㎡の町域を有する。標高1723mの秀でた山容を形成する日本百名山の「両神山」、日本の滝百選の「丸神の滝」、平成の水百選の「毘沙門水」など魅力あふれる美しい自然と里山の景観を備えている。

気象は、夏は30℃以上、冬は零下10℃ほどの気温になり、寒暖の差が著しい。

小鹿野町公式ご当地キャラクター『おがニャッピー』

日本有数の自生地・節分草園

両神山を中心とした秩父多摩甲斐国立公園、丸神の滝、日本の地質百選に選ばれる「ようばけ」のある県自然環境保全地域、県立両神自然公園、県立西秩父自然公園など豊かな自然があふれている。

町内には、セツブンソウの自生地として日本有数の規模を誇る「節分草園」、棚田を利用した園地におよそ1万株のハナショウブが植えられた「両神花しょうぶ園」、約350種5,000株のダリアが咲き乱れる「両神山麓花の郷ダリア園」などの花どころがずらり。尾ノ内渓谷を流れる沢水を散水し、地域ボランティアの手でつくり上げる幅250m、高さ60mにおよぶ壮大な氷のオブジェ「尾ノ内氷柱」は、小鹿野を代表する冬の風物詩となっている。

道の駅・両神温泉薬師の湯は、町営の日帰り温泉や農産物直売所を併設する複合施設で、町内には趣ある温泉宿が点在する。近年では、県と中国山西省の友好記念館「神怡舘」の跡地を町営クライミングジムへとリニューアル。クライミングによるまちおこしが進められている。

尾ノ内氷柱

小説家・大谷藤子(1903~77年)は、旧両神村に生まれ、秩父を題材にした作品を数多く残した。70年には、中央公論社が創設した女流文学賞(現在は中央公論文芸賞に継承)を受賞した。生家の近くには、小説「山村の女たち」の一節を刻んだ文学碑が建てられている。

大谷藤子の文学碑

新庁舎のイメージ

『文化の香り高く将来に躍動するまち』を将来像に、「人口減少にまけない小さくても輝き続けるまち」「本町の自然や特性を活かした地域経済の創生」「かがやく未来へおがの人づくり」「すべての世代に配慮された社会保障の充実」「快適で安心して暮らせる環境の整備」を基本目標に行財政運営を推進していく。

現在、小鹿野町庁舎の建て替えが進んでいる。町有林のスギやヒノキを利用し、かつ環境に配慮した2階建ての木造庁舎となり、今年12月の完成予定。「町民を中心とした多くの人が使いやすく、木のぬくもりを感じられる空間」として新たな町のシンボルとなることが期待されている。

小鹿野町のデータ

小鹿野町地図
人口 10,711人(令和4年8月1日現在)
世帯数 4,586(令和4年8月1日現在)
面積 171.26㎢
総生産額 352億8,700万円(平成30年度)

取材協力:小鹿野町